与那国海底遺跡

与那国島にある有名なダイビングのポイントは与那国海底遺跡です。
未だに人工の遺跡か自然地形か判明されていません。

現段階での与那国海底遺跡の正式名称は、与那国海底地形が正式名所とされています。

与那国海底地形

与那国海底遺跡は与那国島南部の新川鼻沖の海底で1986年発見されました。
その後も発見したダイバーが独自に調査を行い1995年にメディアに取り上げられてからは与那国海底遺跡はメジャーな場所になりました。

2016年に学術的調査を行い、国の史跡・世界遺産やジオパークに登録する働きかけが行われている。
もしも世界遺産に登録された場合にはダイビングする事も難しくなるのではないかと言われているダイビングポイントです。

与那国海底遺跡

未だに自然地形説と人工遺跡説どちらかが解明されていない与那国海底地形です。

与那国海底地形 自然地形説

与那国海底遺跡人工説のグループが2000年から3000年前に成形されたとされると発表しましたが。
実際の与那国島では化石・土器・石器・焚火跡などの調査によると紀元前2000年~2500年前と推測される小さな居住区が確認されています。
しかし、その居住区での文明では与那国海底遺跡を建造する力は無いと断言している。

侵食説

岩が侵食されてできた自然の地形と言う説もあります。
元々侵食されやすい地質で出来ていると言う地質学者の発表もあります。

この岩はもともと侵食されやすい種類のものであり、垂直や水平の階段状の部分は、マグマの冷却時に規則的な亀裂が発生し、それに沿って岩石が侵食される「方状節理」という現象で説明できる。階段状部分の高さがまちまちであり、高いところでは1段につき1m以上もあることなどからも、人工の構造物ではなく節理による自然地形とする見方が裏付けられる。穴はへこんだ部分に石が入り込み、潮流によって回され、周りの石材を削りだしたもの(ポットホール)で、河川ではよく見られる光景と同じである。

地上にあった遺跡が海没したとする場合、一定期間(数百 – 数千年間)波打ち際で波による侵食を受けたと考えられるが、そのような痕跡は見られない。
地形が「人工物のように見える」という以外に古代文明があった証拠が希薄である。そもそも人の手が加わった証拠が全く見つかっていない。
「遺跡」は東南方向に沿って垂直に10 – 15度傾いている。これは200万年以上前に形成された八重山断層群に沿った傾斜であり、遺跡が造られた後に傾いたものではない。また、傾斜があるのは人工物としては不自然であり、施設として考えた場合に実用性が疑わしい。

という見解を述べています。

遺跡説

道路や石組み敷石や排水溝と推測されるなど、巨石の組み合わせがある。
等間隔でクサビを打ち込んだ跡があるり、侵食で形成される形ではない。
メインテラスと呼ばれている所は左右対称。

古代文明遺跡説

かつて与那国島に古代文明が存在し、何かに使用していたとされる説。
古代文明の遺跡であれば動植物の分布や鍾乳石から推測されるには氷期の終わりと共に海面が上昇した時です。
発見者の資料にもそのように述べられています。
もしもこれが事実ならば1万年以上前の世界最古の遺跡になります。

石切り場説

石切り場として使用されていたと言う説も出ています。
何らかの施設を使用する為に石切り場として使用していたという説もありますが。
切り出した石の行方や分からない、使用されている場所がないと言う主張も出ている。

自然地形加工説

元々は自然の地形で後から人工による手が加えられたと言う説です。

地質学者でボストン大学准教授のロバート・ショックの見解では。

この地形は人工物と考えることは困難であり、基本的に自然のものであるが、崇拝の対象とされ、人によって加工された可能性はあるとの説を唱えている。
すなわち、与那国島で太古に人間が生活していた痕跡が認められていないと留保しつつも、海底地形は少なくとも95%以上は自然のものであるが、ヨーロッパにおける洞窟壁画と同様に古代人がそれに手を加えたことはありうるとし、紀元前8000年代には与那国島は北回帰線(夏至線)に非常に近い位置にあったため、この地形はおそらく天文学的にこれに整列する神殿であったのだろうと指摘している。

っと上記の様に述べています。

与那国海底遺跡or与那国海底地形 個人的結論

ダイビングして目で見て感じ取ってください!!!

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